アラフィフおひとりさま暮らし

気がつけばもうアラフィフ。さて、これからどう生きよう。

自分ひとつ

 

 

本を読んでいたら、

 

おもしろき

こともなき世を

おもしろく

住なすものは

こころなりけり

 

という高杉晋作の名言に出会いました。

 

これ、今の私にはすごく刺さりました。

 

アラフィフの自分の姿を鏡で毎日見ては、

うわ、ずいぶんおばさんになっちゃったなーってがっかり。

人生はすでに折り返し点通過中で

人生を四季に例えるなら、もう秋にいると言われる年齢。

(ちょうどAutum LeavesがBGMで流れて哀愁そそります。。。)

この先の何かわくわく、どきどきするような未来が待ち受けているわけでもなく、

体力・スタミナも確実に落ちて、

とにかく「現状維持」「メンテ」という何とも夢のない言葉が、カギとなる年齢。

そして、何よりも切ないのは、

自分が年を取るともに、両親もどんどん年老いていくということ。

毎年一時帰国で実家に帰るたびに、両親が小さくすぼんでいて、

胸を締め付けられます。

 

まさに年を取る=「おもしろきことない世」という状況。

 

おもしろいことのない世の中を

おもしろくするのもしないのも

自分一つ。

 

ものはとらえよう

結局は自分なのですよね。

 

現実は現実として否定しないでしっかり受け止めつつ、

その中に何か楽しさを見出しながら、

「おもしろき世」のなかで、年を重ねていきたいものです。

 

嫌いな言葉

 

 

いつ聞いても、ものすごい違和感を感じる言葉があります。

それは人生の勝ち組、負け組、という言葉。

人生に勝ち負けなんてあるんだろうかといつも思います。

 

みな、それぞれ自分にしか感じられない喜怒哀楽を感じながら、

内に秘めた葛藤と闘いながら、

これでいいのか、どうしたらいいのかと迷いながら

唯一無二の人生を歩んでいる。

誰かと同じ人生を歩んでいる人など一人もいない、

比較もできないものに、勝敗なんてあるはずない。

 

そう心の中でわかってはいても、

人間というものは、人と、社会とかかわっていると

ついつい自分を他人と比べて、

社会の中での自分の位置・地位を気にして、

落ち込んだり、羨んだり、妬んだり、

はたまた、優越感を感じたり、人を見下したり、

してしまうもの。

 

自分は自分、

他人は他人。

世の中の雑音に惑わされず、

全く違う人生を歩んでいる他人と自分を比べることなく、

自分が、うれしい、楽しい、幸せ、と感じられる瞬間をしっかり感じながら、

自分の人生、自分らしく生きていく、それあるのみ。

 

まだまだ未熟で、そんな悟りの境地からははるか遠いところにいるけれど、

いつかその近くまで行きつくことができたらいいなぁ。

チョコレートという贈り物

 

つい先日誕生日を迎えたのですが(いつの間にかとうとう40代最後の一年!)

チョコレートを好んで食べない私が

大きなトリュフチョコレートのセットを二つももらいました。。。

 

イギリス人女性は得てしてチョコホリック(チョコ中毒)と言われるくらい

大多数が大のチョコレート好きのようで、

女性へのちょっとしたプレゼントには

チョコレートは非常に無難な選択肢である模様。

・・・が、私にとってはチョコレートは

この世の中から消滅しても全く支障がないと言っていいほど、

どうでもいい存在。

 

そんな私なのですが、今回の誕生日を含め、

何かにつけてチョコレートをもらうので、困ってしまいます。

クリスマスプレゼントにチョコレート、

お土産でもチョコレート

イースターでもチョコレート、

誕生日にもチョコレート。

 

お金や時間を費やして、

私のためにチョコレートを買ってくださった方々には心底申し訳ないのですが、

何しろ食べないので、そのままチョコ好き人種に横流ししています。

 

とは言え、贈り主のその気持ちがうれしいのは確か。

もらった瞬間は内心で、「またもやチョコか。。。」とため息を漏らしつつ、

表向きには「わー!うれしい!ありがとう!」と、

感謝の気持ちを前面に押し出すようにしています。

ただ、そうすることによって、

贈り主には私はチョコレート好きという印象をさらに深く植え付けることとなり、

そんな状態で、実はチョコ食べないんだよね~、ちゃんちゃん!、

と爆弾発言もできないまま、

チョコレートを贈られる日々は続きそうです。

 

 

 

 

 

初の挑戦 がっかり またチャレンジ

 

 

下手の横好きで15年以上続けているバレエ。

ここへきて急に奮起して、

はじめてヴァリエーションのクラス(本物の作品の振り付けに挑戦するクラス)

に挑みました。

 

そもそも、プロが踊るものを

ド素人が真似しようっていうのは相当無理がある。

まず体型が同じ人間とは思えないくらい違う。

そしてテクニックも足元にも及ばない。

四苦八苦しつつ、自分なりにベストを尽くして、

そこそこ自己満足できるくらいのレベルで踊れたかなーと思っていたのですが、

撮ってもらった動画を見て唖然としました。

 

うわーーー、なんじゃこりゃぁ!の世界。

 

つっこみどころしかない。

私、鏡見て踊ってたはずなのにいったい何を見てたんだろう?

 

自分のあまりの滑稽さに笑ってしまい、

そしてこんなにひどかったんだと、思い切りがっかりしました。

 

15年間も頑張ってきてこれかぁ、と、

何とも表現しがたいいたたまれない気分に包まれ、

切ないため息がもれました。

 

でも、動画ではじめて自分の姿を見たことで、

あ、ここはもうちょっとこうできたはず、とか、

全然気がつかなかったけど、私ってこういう癖があったんだ、とか、

時間をおいて客観的に自分の姿を見たからこそ気づけたこともありました。

 

ということで、また心を新たにチャレンジです。

体力的にもテクニックも若い人たちには全くかなわないけれど、

年齢を重ねたからこそできる、

そんな踊りが少しでもできるようになりたい。

 

日々進化あるのみ。

 

 

 

アラフィフ同士で好きな映画の話をしたら。。。

 

同じくアラフィフシングルの日本の友達に、

「私、実はいまだに映画はTSUTAYAでDVD借りて見てる~!」

と軽く衝撃を受ける時代遅れっぷりを告白され、そこから好きな映画の話に発展。

 

どちらも列挙する映画が古い古い(笑)

お互い20代に見た映画ばかり。

 

20代。今の年齢のまだ半分だったとき。

「青い」という言葉がぴったりだったあの若かりし頃。

まだ世間の荒波にほとんど揉まれておらず、

人生の酸いも甘いも、子供がビールを味見する程度しか味わっておらず、

心がすれていなくて、

でも精神的にはそこそこ大人になって

物事を深く見られるようになったり、

人の感情を推し量れるようになっていたり。

そういう年頃だったせいか、

あの頃に覚えた感動って強烈に心に残って離れないものなんだな、

・・・とそんなことを考えさせられました。

 

そういえば、同世代の同僚が少し前に、

最近何をしても、何を見ても、昔ほどの感動を感じられない、

ってぼやいていたのだけど、

それって、裏を返せば同じことなのですよね。

 

とは言っても、酸いも甘いも経験したからこそ心を動かされるものもある。

 

同じく20代の頃に見た「イル・ポスティーノ」というイタリア映画。

当時は、なかなかいい映画だなーとは思った記憶はあるものの、

あまり心には刺さらなかった。

 

ところが、つい最近、テレビでやっていたのをたまたま見たら、

自分も純粋だった20代の頃には感じ取れなかった

主人公の純粋さ、ひたむきさや、

ゆっくりと少しずつささやかに築き上げられる人間関係の温かさが

これでもかーというくらい心に突き刺さりまくりで、

涙腺が堤防決壊状態でした。

終わった後もあまりに切なさ過ぎて、

うううっと嗚咽のような音を発して、しばらく泣いていたほど。

 

アラフィフなんだけれども

まだまだ未熟で、日々心の葛藤だらけで

体ばかりが年を重ねて、

精神年齢が実年齢に全く追いついておらんじゃないか、と思う毎日ですが、

それでも50年近くも生きると、

経験値の増加とともに、

着実にものの見方は変わってる、

いろいろな角度から物が見られる、

今まで気がつかなかったことの大切さを感じられる、

年を重ねることは悪いことばかりじゃないのかもしれませんね。

 

エモいもナウいも結局似たようなもの

 

今日、日本のテレビ番組(私の大好きな、「マツコの知らない世界」)

を見ていたら、

 「エモい」  って、

そういえばこれまで何度か目にした、

もしくは、耳にしたような気もするけど、

海外生活が長すぎて、浦島太郎になっている私には

意味不明な言葉が出てきました。。

 

これなんなんだと調べたら

Emotionalという英語から来てるんですね。

なんだ、英語由来なのか、

・・・ということは、

今、私の年齢の半分以下、いや、3分の一以下くらいの若者が

エモい!って言ってるのって、

昭和の私たちが、当時同じくらいの年齢で、

それナウい!ってやたらと使ってたのと全然変わらないよね、

という結論に達しました。

 

子供がおらず、若い世代とほとんど接点のない私には

今時の若者が、不可解な異人種、

はたまた宇宙人くらいに思えてしまうのですが、

エモいもナウいも大して変わらないという新発見に、

人間そこまで変わらないものなのね、と安心させられました。

自分への挑戦状

 

前々回の投稿に、同じバレエのクラスに出ている女性が

テクニックや体型に全く気後れせず、

ただただ楽しんで頑張っている姿を動画に収めたものを見て、

その姿に感銘を受けたと書いたのですが、

それにすっかり触発されて、

私もちょっと腕まくりでもして

挑戦してみようかなという気持ちになりました。

 

バレエ、かれこれ15年続けていますが、

理想とされる体型・骨格を恐ろしいほど持ち合わせていない私。

四重苦どころではなく百重苦、

私ったら、ハンディキャップの寄せ集めでしかありません。

 

それを痛いほど自覚しているので、

こんな私が、発表会やらヴァリエーションクラスやらなんて、

おこがましすぎる、ありえないでしょ、

そう思って、そういったものを一切避けてきました。

 

でもどう見えるかなんて気にせず、やりたいことをやって、

純粋にそれを楽しんで輝いている彼女の姿に鼓舞されて、

えいや!!って申し込んでしまいました。

日曜夜の三時間のヴァリエーションクラス。

 

自分に挑戦状をたたきつけた感じです。

 

新たなチャレンジ、私も彼女みたいに思う存分楽しめたらいいな、そう思っています。

人生、何事も遅すぎるってことはない、そう信じて!

 

 

そういえば最近こんな言葉に出会いました。

 

"You don't need to be great to start. You need to start to be great."

(はじめから上手である必要なんてない。上手になるために始めるのだ。)